ジェンダーの話の中で「差別」についての議論になると、
必ずといっていいくらい「女性専用車両」の話が出てくる。
「女尊男卑」や、「チカン冤罪」という言葉まで飛び出す。
「女性専用車両」は、2000年代バブル経済の崩壊や少子高齢化などによる利用者の減少で導入された。
1980年代末、大阪でチカンをとがめた女性がレイプされる事件があったときに、それを機会に結成された団体などが性犯罪防止を鉄道各社に訴えたことで、アナウンスや啓発広告がなされるようになったが、当時は「女性専用車両」の導入には至らなかった。
その経緯については、あまり知らされてはいないし、チカン免罪者の数よりも圧倒的にチカン被害者の数の方が多いにもかかわらず、チカンという卑劣な行為についての議論ではなく、免罪の方に焦点が当てられてしまう。
私自身は中学生の頃から、電車通学だった。
そのころの満員電車は、駅員がドアが閉まるまで、後ろから人を押し込んでいた。
そんなギュウギュウ詰めの社内の中で、毎日のようにチカンに遭遇していた。
世の中はそんなもんだ。
男はそういう生き物だ。
そんなふうに思い込んでいたので、気にしないようにしていた。
小学生の頃、遅刻しての登校中に後ろからつけられ、ふりかえった時に露出狂であることに気づいた。
そのことさえ誰にも話さなかった。
でも、そのことは今でも鮮明に覚えていることを思うと、
そうとう怖かったんだろうと思う。
「女性専用車両」のことが話題になるとき、チカン被害についてではなく、冤罪のことばかりがクローズアップされることに強い違和感を覚える。
性を二分化することで存在する「女性専用車両」は、最終的には必要はないと思っている。
でも、AVなどでチカン行為を娯楽として消費することに、あまりに無頓着なこの日本社会で、女性も男性も多様な存在の人もすべての人が安心して暮らせる社会をどうやって作っていくのか、そのことを議論できる成熟した時代になるまで、やはり「女性専用車両」は必要なんじゃないかと今は思っている。 |
2017-06-04 13:24 |
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人権教育出前授業 |
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