担当者名:特定非営利活動法人SEAN(シーン)
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遠矢 家永子 
副理事長・事務局長
高槻市市民公益活動サポートセンター管理運営委員会委員長
(社福)大阪ボランティア協会評議員
2012年12月04日
次世代の子どもへの大人の責任について 今日からできる10のこと
SEAN理事会で考えました。
やってみましょ〜、ご一緒に!!

「大阪ええじゃないか」
次世代の子どもへの大人の責任について、今日からできる10のこと

ー分が子どもだったことを思い出し、子どもの話をとにかく聴く

一日に一回 子どもと ほたえる
 *ほたえる…ふざける。じゃれる。たわむれるという意味の「関西弁」

子どもに 違う世界があることを 伝える

ぁ峪劼匹發慮⇒条約」を 子どもと読む

グΔ垢襪海箸鮓せる

Δ錣燭靴まず 活き活き生きる

Ы男だけじゃない ジェンダー視点を身につける

╂亀舛北造辰燭蕁,海海蹐寮爾鯆阿

権力関係に 敏感になる

戦争を繰り返さないために 政治に関心を持ち 選挙に行く
2012-12-04 00:03 | 記事へ | ジェンダーの視点 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2011年04月19日
ジェンダー平等教育の取り組みについて
助成金の獲得にしても、団体への評価にしても、
ジェンダーへの取り組みは正当な評価を得にくいのが
常日頃から悩みの種だ。

ジェンダーの何が、問題なのかといった理解はなかなか
広がってはいかないし、ジェンダー概念への偏見や誤解も多い。

「両立支援の部署があるけど、うちの上層部は
女性版ガンダムをつくることだと思っているんじゃないかなって思います。」
ってある企業の方がおっしゃってた。

弱肉強食の男社会で、男並みに戦える女性をつくることが
男女共同参画社会だと思っている人は案外多い。
経済中心主義の視点で、女性の活用を考えているのではないかと、
思える見解もよく目につく。
ジェンダー平等社会・男女共同参画社会とは、
性別にとらわらない人権視点だと考えるべきだ。

「男」というカテゴリーに期待される「負けない強さ」ではなく、
どちらかといえば「女」というカテゴリーに期待されてきた
共感性と柔軟性などの「信頼し支え合う強さ」を
性別によるカテゴリーわけではなく、
すべての人に期待し、身につけていくことを推し進めたい。

「強さ」と「優しさ」は、限りなく近い概念であってほしい。

にもかかわらず、男女2項対立で考える「強さ」「やさしさ」は
「支配する強さ」と「主張しないやさしさ」となり、
そこからは主従関係・支配構造が簡単に成立してしまうのが
画一化されたジェンダー概念である。

競争社会・格差社会が肯定される現代社会において、
ジェンダー平等教育はますます必要になってきているはずだ。

そして、人は一人ひとりが異なる存在であるという
多様性という概念も重要な視点である。

どちらの切り口も、やはり「人権」が核なのである。


どうすれば突破口を切り開いていけるんだろう。

蒔いた種が、すくすくと育ってくれる日がくるといいのだが…

<講座のご案内>

4つの「なぜ?」を議論しよう!!
▼▼調査報告書を読み解く▼「子どもたちが考える女の子と男の子」
ファシリテーター: 遠矢家永子(NPO法人SEAN教育部門「G-Free」代表)
運営協力費: 各回500円(茶菓子代含む)
毎月曜日10:00〜12:00
*報告冊子を希望する方は800円が必要です(全会共通)

1.5/9(月)
 今度生まれるとしても、男子は「女」を選ばない?
 !高槻市立総合市民交流センター 第2会議室

2.5/16(月)
 「男(女)らしく」なければ、いじめられる?!
 高槻現代劇場 集会室202号室

3.5/23(月)
 女子はパティシエ、男子はスポーツ選手になりたがる?!
 高槻現代劇場 集会室202号室

4.5/30(月)
 中学生男子は、「助けて」を言わない?!
 高槻市立総合市民交流センター 遊の工房

お申込み、お問合わせは下記まで
NPO法人SEAN station@npo-sean.org
2011-04-19 01:50 | 記事へ | ジェンダーの視点 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年10月17日
絵本「100万回生きたねこ」の白ねこの人生
今日は原稿作成のための会議。
テーマは、「構造的な力関係・人権の搾取」
それぞれのテーマにおける専門の方の集まりで、
毎回毎回、本当に勉強になるし、共通言語を
もつ皆さんとの会話はエキサイティングで楽しい。

私がみなさんに話したことで盛り上がったのは、
絵本「100万回生きたねこ」の話だった。
とてもユニークな構成で、ロングランで人気の絵本である。
SEANが2003年に、絵本の中のジェンダーを調査し、
報告書として発行した時に取り上げた絵本の1冊だ。

「絵本100冊読んで見えてきたもの」に
次のようなコラムを私は書いている。

***

100万回生きたねこ 佐野洋子作 講談社(1977年発行)

 100万回死んで、100万回も生きたりっぱなねこがいた。
1回も泣いたことのない自分だけを愛していたとらねこが、
美しい白いねこと出会い、その白いねことの間に子どもをもうけ、
白いねこが死んだ日にはじめて泣き、後を追うように死んで
二度と生き返らなかったというお話。

 絵本の中では、白いねこは最初から最後まで
「ええ」と「そう」しか言わない。
「おれは100万回も死んだんだぜ!」と言うとらねこに
見向きもしなかったはずの白ねこが、とらねこを
いつの間にか受け入れ、子どもまで産む。
四六時中そばにいるとらねこを、ただだまって受け入れていく白ねこは
典型的なステレオタイプの女性像ではないのか?

 白ねこが年老いて息を引き取った後、後を追うようにとらねこは死ぬ。
その話から、大学の調査による、高齢者の
死亡要因の新聞記事を思い出した。
男性は「配偶者がいないこと」、女性は「配偶者がいること」が
死亡につながるハイリスク因子であるという調査の記事だ。
 その関係を物語にしたようなストーリーで、
白ねこの気もちを考えると「死んでからも追いかけてこないでよ!」
という心境になってしまった。

***

もう、7年も前に私が書いたコラムであるが、
会議に参加していたみなさんが「好きだった絵本だけに
ショックだけど、目から鱗だ」と、大いに話が盛り上がった。

改めて、自分の書いたコラムを読み返し、「白ねこ」という風貌もまた
ステレオタイプであったんだと気づいた。
白ねこは、主体的な生き方や主張はしない。
ただ、「おれ」のそばに黙って寄り添い、受け入れ、
「おれ」の子どもを産み育てるのだ。
この話を美しい話として涙することは、無自覚のまま
男性視点に飲み込まれている証拠。

違った角度から、社会を読み解いとき、
「おお〜そうだったのかぁ」と気づきを楽しむ、
そんな力をこれからも養っていきたいものだ。
2010-10-17 01:07 | 記事へ | ジェンダーの視点 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年10月09日
ジェンダーが生み出す男女間のグループ化、分断、対立
小学生の子どもたちのジェンダーに関する
アンケート意識調査を分析しているところ

「男らしく」「女らしく」といったジェンダー概念は
「からかわれる」「いじめられる」「かっこわるい」「恥ずかしい」
「親から叱られる」から着込んでいく。

結果、自己抑圧や否定、友だちへのいじめだけでなく、
男女間のグループ化、分断、対立が起こっている。

女の子から見て、男の子は「やんちゃ」「乱暴」
「弱いくせにかっこつけ」「いじわる」
男の子から見て、女の子は「こわい」「うざい」
「女らしくしてほしい」 etc.

それでも、45分の授業の後は、意識の変化が見られるようになる。

「仲良くしたい」「気もちは一緒」「自由」「差別はいけない」

たかが「性別」、されど「性別」
現状の刷り込まれた意識は、子どもの成長にとって
良い結果をもたらすものだとは思えない。
授業を通して、自分の「性」ときちんと向かい、
不必要なとらわれから解放されていく教育を行うべきだ。

報告書の発行まであとひと息。
ただ今、産みの苦しみの真っ最中。
年末までには発行し800円で販売する予定だし、
報告会も開催する。

それに関する告知と報告は後日やります。
乞うご期待!
2010-10-09 03:50 | 記事へ | ジェンダーの視点 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年09月29日
育ちを通して出会う多様な「ジェンダー観」
「ジェンダー」という言葉は、生物学的なからだや機能の違いではなく、
「社会的・あるいは文化的につくられる性のありよう」だと言われている。

「性差」「性別」を、どうとらえるかという概念である。

その時代・その地域で、多数派があるいは強者が
「性差」をどうとらえているかということを指して、「ジェンダー」だと言う。

しかし、そもそも社会は、個人の集まりによって形成されているわけで、
概念自体が多様化しており、
「一人ひとり異なったジェンダー観をもっており、
その概念をどれも否定できない」と考える方が健全である。

多数者の意見が「権力」を持ち、「そう考えるべきだ」となり、
一人ひとりの考えに介入すれば、それは暴力だ。

何を持って「男らしい」「女らしい」と考えるか、
あるいはそんなものは存在しないと考えるかなど、
思想信条の自由は保障されるべきである。

ましてや、どうとらえるかだけではなく、
生き方や行動まで規制するなどもってのほかだ。

からだと機能の違いさえも、明確に二分化ができないと
言われ始めている。

「人権」とは、生命の維持・自由(自己決定権)・幸福追求が保障されること。

多数派の考えを「社会」と位置づけるのではなく、
多様化した個人の集合体を「社会」とみなしたい。

しかし、育ちの中で、綿々と受け継がれるジェンダー概念は
再生産されていく。
その概念を着込まないと、仲間外れにされたり、
恥ずかしかったり、怒られたりするし、
その概念どおりに行動すれば褒められたり、
尊敬されたり、誇らしかったりするからだ。

子ども期には、あるがままの姿が肯定され、自ら生き方を選びとっていく力、
すなわちアイデンティティを主体的に築き上げることが大事である。

そんな子ども期を過ごすには、周辺の大人たちによる
サポートや教育が不可欠だ。
大人が、まず子どもたちのロールモデルとなれるよう、
多様性について学び、尊重し合う力を身につけていく
必要があるのだと思う。
2010-09-29 10:25 | 記事へ | ジェンダーの視点 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2010年06月19日
「表現の自由」と「表現の暴力規制」
東京都青少年健全育成条例改正案は否決された。

「表現の自由」への権力規制とみる声が大きいからだ。

「表現の自由」とはなんだろう。

2008年に「マンガ・雑誌の『性』情報と子どもたち」
という報告書を発行した。

当時、その報告書を発行するために、
阪急高槻市駅前にある書店で、
アダルト系のマンガ雑誌を数冊購入した。

その本屋は今はつぶれて存在しないのだが、
アダルト系のマンガ誌が各種取り揃えられており、
一般書との隔たりがあまりなく簡単に
誰でも購入できるようになっていた。

その本屋はつぶれてしまったが、インターネットでは
検索すれば、誰でも購入できるのが現状である。
このブログを読んでいるみなさんも、
一度検索して欲しい。

幾つか購入し調べてみて、未成年者と思われるキャラクターが
強姦され恥辱されているアダルトマンガやゲームの多さに
愕然とした。

直視できないものばかりである。
インターネット上のその内容に関する書き込みも、
人間の尊厳を踏みにじる内容(特に、女性を人間とみなさない
女性蔑視の表現)が羅列されている。

主に少女達がその対象ではあるが、
トランスジェンダーだと思われる
(下半身の外性器は男性で、上半身と顔は少女)
人物像が強姦されている描写などもある。
主なストーリーは、強姦されても、いつの間にか
被害者が快楽と感じ、強姦を懇願するようになるという
類のものだ。

これらの描写が、アダルトコーナーにあるのだからと
許され、書店に並んでいること自体に嫌悪感を持つ。

何が許されて、何が許されないかといった
線引きはとても難しい。
それを、権力を持つ者が判断できるようになることは、
ある意味とても危険なことかもしれない。

けれど、単純に考えると警察だってその類だ。

もし、都が「表現の自由」を規制する権力を
持つ可能性があることを危惧するなら、
そこを抑制する条文を付け加えればいい。

人権の尊重を主張する側までもが、今回の条例改正案に
反対する運動を展開している。

人権尊重を主張するなら、子どもを性奴隷として扱う
アニメやコミックの現状についてしっかり把握し、
国外からも非難されているその恥ずべき現状への
対策についても具体案を言及して欲しいと願う。
2010-06-19 11:10 | 記事へ | ジェンダーの視点 | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2010年05月31日
ジェンダー規範ではなく、人権規範で支え合う社会を築こう
「ジェンダーフリーという概念は、家族の絆を破壊する」
なんてことを、本気で主張する人がまだいる。

ジェンダーとは、そもそも「社会的・文化的な性のありよう」のことで、
その概念そのものが多様なはずである。
しかし、日本で考えられているジェンダーには多様性はなく、
画一化された性役割分担が存在する。

多様性を認めれば、みなが役割を放棄し、秩序が乱れるとの
考えがあるから、その役割意識を強化しようとする考えが
ジェンダー規範である。

秩序を維持するには、人権規範を広めていけばいい。
役割を固定化し、主従関係をつくらなくても、
個の人権を尊重し合う関係があれば、人は支えあえる関係を
築くことが出来る。

仮にジェンダーフリーの概念が広がることで、離婚が増えたとしても、
それは主従関係などで保っていた不平等な関係性が表面化したに過ぎない。
離婚が子どもを不幸にするのではない。
両親がいがみ合う関係性を背負わされるから、子どもは不幸になるのだ。

一人ひとりが自分の人生を自由に自己選択し、
責任を負い合うことで、存在意義が認められ、
エンパワーしていける社会をめざしたい。

生物学的な部分には、典型的な男女差もあるにはあるが、
性は単純に二分化できないわけだし、個人差である部分も大きい。
そして、自己決定権という人権こそが最優先されるべきである。
2010-05-31 15:56 | 記事へ | ジェンダーの視点 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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